ひふみ神示を写します。
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尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、
神ばかり尊んでも何にもならんぞ、 何もかも尊べば何もかも味方ぞ、 敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、 この道理分りたか。 『何もかも尊べば何もかも味方ぞ』 そのようになりたいです。 互いに尊び合うことができたなら、諍いなどなくなるでしょう。 しかし、悪意や悪感情をむき出しにしてくる相手をその場で尊ぶことなど、 私には出来やしません。 尊ぶことができるとしたら、 自分にも非があることを認めたときか、 相手の言い分にも一理あることに気付いたときかな。 でもこれでは条件付きで尊ぶのだから、 神の云っているのとはレベルが違っていますね。 |
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天から人が降りる、
人が天に昇ること、 昇り降りでいそがしくなるぞ。 朝刊を読んでいて、 政府の「経済危機対策」として打ち出された住宅取得の優遇策の記事が気になった。 税制優遇は二つあり、期間限定の住宅ローン控除と、期間限定の住宅資金贈与(500万円まで)の非課税というもの。 その他の優遇策は、(独)住宅金融支援機構と、民間金融機関が提携する形で提供している、長期固定金利型住宅ローン「フラット35」で、頭金が用意できなくても資金を全額借りられるといものです。 収入が安定していて貯蓄もあり、この先も収入が増える見込みがあるのなら、優遇策にのってマイホームの購入もいいでしょう。 しかし、自分で頭金を用意できない者、つまり生活に余裕がなく貯蓄できなかった者にまでローンを組ませるのは、優遇策といえるのだろうか。ローンで生活が破綻する可能性が高いのに貸付をしようとするとはどういうことでしょう。これで政府が望む経済効果が得られるのだろうか。儲かるのはいったい誰。 「頭金なし」「今の家賃でマイホームが手に入る」と低所得者の購買意欲を煽る「売って何ぼ」の不動産屋と、『優遇策』という聞こえの善い言葉で庶民からお金を引きずり出そうとしている政府が、私には重なって見えてしまいます。どちらもお金を拝んでいるようにしか思えません。 ローンの返済に困り不動産を売却しても、借金を上回る金額を得られないことがほとんどだそうです。自己破産手続きをしない限り、不動産を手放してもローンの支払いが続くことになるそうです。 悪は善の仮面を被っていることを忘れずにいたいものです。 |
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かのととり、
結構な日と申してあるが、 結構な日は恐い日であるぞ。 『かのととり』の日は、 人によって、『結構な日』か『恐い日』のどちらかになるのでしょうが、 自分にとってその日が『結構な日』であるか『恐い日』であるか、 分る(実感できる)ものなのだろうか。 何の変哲もない一日として終わるだけなのかもしれない。 それとも、神と獣に分かれる日を『結構な日』と云っているのかな。 |
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光現はれると
道はハッキリと判りて来るのぞ、 この方にだまされたと思うて、 言ふ通りにして見なされ、 自分でもビックリする様に 結構が出来てるのにビックリするぞ。 諍い、いじめ、病気など、 人に降りかかってくる不都合な出来事の原因の全てを 前世のカルマ、先祖のカルマであるとし、 様々な不都合な出来事は カルマを浄化するために起きている<ありがたい>現象なのだと 説明している新興宗教団体がありました。 私がママ友Yに誘われ 新興宗教に関わった時に見聞きしたこと、思ったことを書いてゆきます。 ここの信者達は、お互いに御浄めと称する手かざしをやり、 信者外の者に対しても己のカルマを浄化するために 手かざしを(目をつけた人の家に複数人で押しかけてでも)行い、 組織内での上の資格を目指して勧誘活動を積極的にするようでした。 Yは私には、子育てに役に立つ講座をやっているからと誘ってきました、 Y本人は善いことを行っているつもりだったのかもしれません、表向きは。 しかし、自分のカルマを浄化するために他人を利用するのが当たり前という組織の方針は、 案内された施設内の掲示板を見れば明らかでした。 「5名以上勧誘を行った者は中級講座が受けられます、日程は…、費用は…」 「××名以上勧誘を行った者は上級講座が…」 という掲示物を目にした私には、Yが声を掛けて来た真の目的が察せられたのでした。 信者達の話によると、 彼らの行う御浄めでは、浄めを受けている人が突如として霊媒となり、 因縁のある霊がその場にいる人のカルマのいきさつを語ったり、 あるいは直接害を及ぼしている霊が出てきて己の所業を語ったりするので、 何者を供養すれば抱えている問題が解決できるのかが分るのだというとでした。 また、彼らの神にお願いすることや、御浄めをすることは、 他の宗教ではありえない素晴らしい奇跡をもたらすものだということでした。 実体験に基づく話をきかされましたが、 何百年も前に生きていたという霊の話に確証があるわけではないし、 御浄めをやり合っている光景を見ていると お互いに霊の憑けあいっこもありかもなどと私には思えてしまい、 誰かにくっついてきた縁もゆかりもない浮遊霊が 適当に作り話をしたんじゃないかという考えが頭から離れませんでした。 私を勧誘してきたYは 自分の子どもの酷いアトピー性皮膚炎の原因について、 自分の過去生での行いにあること、 Yに恨みを持つ霊が 復讐のために子どもをアトピーにしているのだと言っていました。 そして信仰と手かざしのおかげで、 赤ちゃん時代には見るも無残な皮膚だったのが綺麗になっていると 私に話したのですが、 その子どもが小学校高年になっているのを知っていたので、 私は信仰と手かざしがなくても、成長するのにともなって 徐々に皮膚の状態が改善されたということだって 考えられるのではないかと思いました。 Yが入信したのは、アトピーの子どもを見た信者から 「この神様なら良くしてくれるよ」と紹介されたといっていましたから、 新興宗教というのは 人の弱みを衝いて誘いかけてくるのだということを、 そのとき初めて私は知りました。 お金と引き換えに奇跡の力(?)を誰にでも与える神に対して、 神頼みしたくなるような困難な事情が私にはなかったので 自分なりに冷静に観察できたのだと思います。 ご利益を求めて心眼が曇ってしまったら、 偽物が本物に見え、本物が偽者に見えてしまうのかもしれません。 あの信者たちにとっての光は胡散臭くて、私の光にはなり得ませんでしたが、 あのような光を求めてやまない人が世間にはいるのも事実です。 ビックリするような『結構な出来事』が、 胡散臭い神の導きでも起きることがあるかもしれませんが、 その反動もありそうです。 私は偽の光に道を照らされたくありません。 |
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苦しい時の神頼みでもよいぞ、 神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、 神はそれを待つてゐるのざぞ、 それでもせぬよりはましぞ、 そこに光あらはれるぞ。 『光』とはなんでしょうか、神の導き?直観?安らぎ? 『苦しい時の神頼み』といっても、ご利益を頼っていたら、 『光』とは違うものがあらわれそうです。 『神頼み』が顕在意識から潜在意識、さらに上の意識に届くように 心の掃除ができているのが前提なのでしょうね。 それとも、心の曇りは突然取れるものなのだろうか。 |





